法治が守られるならば
間を置きませんでした。
昨日のアクセス数がダウンによるものか、メンテナンスによるものか、それとも動くものが動いたかということは、今確認しただけなんですがね。
まず賭けとしてのわたしのやったこと、それを記しておきたくてやってきました。
結論から申します。
賭けには勝ってると思います。
しかし、往生際の悪い行政、そしてそれに従う企業が、
支払いを認めない、もしくは先延ばしにしている。
不退転の覚悟というものは、キチガイ歴の長いわたしをいわゆる禁治産扱いにするために裁判所に提訴する。最悪な話、どこかの精神病院の閉鎖病棟に送られる。それがわたしのリスクでした。
この年月の中で、とっくにそれが行われてるはずで、賭けに負けていたならば、こうして無事にいられなかったこと。少なくとも表向きにはの話です。わたしの言説通り、裁判という公の手段を用いずに、被差別扱いを強固にした可能性は大いにあります。
そう、法治というものが守られるのであれば。
わたしが病気でないとは言ってないんです。人間の権利というものは、たとえ病人であっても当然守られるものです。あなたたちのやったことは、どういうことかわかってますか?
あなたたちのやったことのすべてを知っているわけではありません。
ですが、不合理なことが多過ぎ、それを考え直すことになります。
病気だからあきらめるような答えになるほど甘くありません。
あなたたちがあきらめればいいんです。
身勝手な人、それはあなたたちです。
当然、売り上げも出ているでしょうし、その額はわかりませんが、全国の人がわざと買わないようなことはありえない。これは買わなきゃいけないんです。
その売り上げのレポートを隠ぺいして平気な顔でいるのは、行政がそそのかしているからとの認識を今の段階でわたしはします。
行政による不法行為。
行政だから犯罪してもいい?バカなことを言ってるようならこの国は終わりです。
わかってんなら、さっさと払わせろよ?
この国がドロボーだったことに対して、どう言えばいいでしょう。
本来、さっさとカネ払えとしか言わなくていいのに、なんで回り道をしなければならないんでしょう。